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短編小説試し読み

BLOOD RECALL 狂炎攻略戦

作者:人間六度

 まるで田植えのような光景だった。
 山肌から漏れ出す鋭い光が、朱く染める荒涼とした大地。京都御所の北北西に位置するその原野は、かつては有数の葱の産地だったという。しかし今や大地には雑草の影すらない。除草剤が撒かれ、農地としての機能を終え、その代わり、国土防衛の決戦場としての役目を整えられつつあった。
 黒煙を上げながら近づいてきた九四式六輪自動貨車が停車し、そこへ荷車が群がった。貨車から下ろされたのは無数の刀剣。それらを軍服、斎服、開襟の国民服、着物、もんぺ、様々な装束を身にまとった人々が荷車へと詰め込んで指定の位置へ運び、まるで田植えのように、およそ四尺半間隔で大地へと植えていく。

――《刀植え》

 社会のあらゆる地位に散り散りになった蘇芳の関係者たちが総動員で行っているのは戦備えであり、かつ戦勝祈願の儀式でもあった。
 二年前、この国では国家総動員法という法が作られた。巷ではどうにも戦乱の機運が高まりつつある。そんな中でも国は、この《刀植え》に軍用の自動貨車を貸し出し、製造した軍刀の一部さえも貸与することを決定した。
 今迫りつつあるのは、それほどの脅威だった。
 いち国家の軍事力に匹敵する力を持つ異形の軍勢――《狂気》。

だが《刀植え》を行うものたちが前線に出ることはない。血の異能を持たない一般人の彼らでは文字通り刃が立たない。
 《狂気》とは、人智の及ばぬ天災なのである。
 軍服をまとう初老の男は、二百年前に蘇芳の本家から分家した一族の末裔であり、かつては一兵卒として第一次世界大戦を戦い抜いた実力者であった。
 そんな彼が、刀剣を地面へと突き刺す。
 そのまなじりに涙を浮かべて。
「すみませぬ」
 男の胸にあるのは、夜の海のように広がる無力感だけだった。自らの当主を守ってやるためにできることが、錆かけの刀剣を地面に突き刺すことだけとは。
 あまりに不甲斐なく、苦笑いさえ浮かばぬ。
「すみませぬ。桜様。すみませぬ」
 男は恥いるように繰り返し、当主の名を告げる。
 本来であれば、男児たる己が守ってやるべき、麗しの当主。だが彼には想起者としての能力が発現しなかった。
 途方もない無力感に打ちひしがれているのは、しかし、彼だけではなかった。
「そこの御仁。あなただけではありませんよ」
 前列で同じように《刀植え》に精を出している着物姿の若い女性が、男に、そう優しく声をかけた。
「私も同罪です。《狂気》を前にしては、何もできないのですから」
 男はそれで、許されたとは到底思えない。
 それでも全く異なる身の上の、全く異なる立場の人間が、自分と同じ心境でいるということが分かっただけで、少しだけ気が楽になった。
 山肌が陽を悉く喰らい、空は紫に変わりつつあった。だが《刀植え》の目標本数までは程遠い。
 作業は、夜通し続くだろう。
 着物の女は首にかけた手拭いで額を拭ってから、京の御所の方角へと頭をむけ、掌を合わせてそっと頭を下ろした。
「傍観しかできない我々は、みな、地獄に堕ちても構いません。だからせめて弥勒菩薩よ――」
 熱い涙を滴らせながら、女はいたずらな神仏へと訴える。
 人に、このような宿命を授けた世の理へと、呪いに似た祈りを捧げる。
「我らが桜様をお守りください」
 男も同様に繰り返した。
「桜様を、お守りください」
 無力感に苛まれど、四肢の動く限り、彼らには《刀植え》を行う以外に道はなかった。今はただ息をすることさえ苦くとも、己が当主の健闘を信ずるしかなかった。
 水捌けのよい京の大地は、二人の汗と涙をよく吸った。


 空には満点の星が浮かぶというのに、なんと贅沢なことだろう。川面にも、無数の光の粒が散らされている。それらは上流から何歩にも渡って連なっていて、まるで蘇芳の一族が渡ってきた悠久の時を描き出しているかのようだった。
 河原には、若い女が腰を下ろしてる。
 長く艶なる黒髪を夜風に遊ばせながら、女は胸に抱いていた二つの灯籠を、川へと放った。
 灯籠は互いに寄つ離れつを繰り返しながら、やがて光の大河へと飲み込まれていった。

灯篭流し


 その時。
 草を踏む足音が聞こえ、女は振り返った。
 一人の、けっして若くはない女性が、提灯も持たずに佇んでいた。
 頬からは肉が落ち、白んだ髪の生え際が近頃益々目立ってきているというのに、その背筋は曲がることを知らず、地を踏む足には蘇芳の忠臣としての誇りを感じさせる。そんな老臣の手には、一枚の被布があった。
「こんな遅くまで……。触りますよ」
 老臣は、女の肩へとそっと被布を下ろした。
 それは女の名にちなんだ桜紋様の羽織であり、名付け親であった母が幼少の彼女に残した遺品の一つであった。
「ありがとう、ばあや」
 女の視線は依然、揺れる川面を捉え続けている。
「最後に、もう一度会っておきたかったのです。二人に」
 ばあやと呼ばれた老臣は、内心では、一刻も早く女を屋敷へと連れ戻したいと思っていた。明日は決戦の日。今すぐにでも寝具にくくりつけ、眠り薬を煎じて休ませねば、と思っていた。
 けれど、女の背負っているものの大きさと来歴を思えば、彼女の気持ちを想像しないわけにはいかなかった。
 被布へと袖を通し、女は老臣へと振り返る。
「考えていたんです。家族の犠牲に、この悲しみほどの意味があったのかと。けれど、ふふ。そんなに不安げに見つめないで。覚悟は決まっています」

 女が老臣に見せたのは、年頃の少女の爛漫な笑顔。それは《狂気》と戦うことを宿命付けられた蘇芳の、当主たる人間が宿していて良いあどけなさではない。
 それでも少女は笑ってみせる。
 その健気さが老臣の胸を刺す。
「あなたに言外に戦えと命じながら、同時にあなたの身を気遣うこの卑しさを、どうかお許しください」
 老臣は首を垂れた。ばあや頭を上げて、と肩に触れる女の手に構わず、老臣は額を地面にすりつけるように深く跪く。
「桜様。櫓からの通達です」
 舞い込んだ男の声に、女と老臣は首を回した。詰襟の男子学生服を身に纏った小性が、草むらに立っていた。帝国軍との伝令役を務める、紅宮という男だった。
 彼が来た意味を、顔を見合わせた二人はつぶさに理解する。
 紅宮は淡々と告げた。
「《狂気》は幾万の雑兵を引き連れ、現在丹波の第一防衛線を越えたとのこと。明朝には最終防衛線に達するかと」
 その一瞬で、少女の面影は消えていた。同じ体。同じ声色。だが、そこに立ち上がったのは、紛れもない蘇芳の主人の威厳。
「通過させよ」
 凛々しい声色で女は告げる。
「どのみち、山間部での戦いは想起者側が不利。なればこそ背水の陣という言葉の言霊を、私は信じます」
 そうだ。
 何を弱気になっている。
 老臣は自身の臆病を恥じた。自らの主人を信じきれぬ怠慢を悔いた。
 この少女は、蘇芳桜という女は――先代当主夕燈と華蓮の子。
 類稀なる血の異能を宿した娘。血廻想起者。
「父上、母上、行って参ります」
 立ち上がり、重ね袴の汚れを払った少女は、下駄を鳴らして歩き始める。足取りに、怯えはなかった。否。それどころか、小刻みな歩幅と小躍りするように踏むステップは、どこか楽しげにさえ映った。
 そしてそれこそが、老臣の残す最後の苦慮であった。
 だが桜はもう振り返らない。歩む先にあるのは、血の一滴までを絞り尽くす修羅の戦場のみ。
 低く、桜が告げた。
「ばあや。ウスガネヨロイを、起こして頂戴」――早期購入特典小説へ続く